音は聞こえているのに、言葉として分からない
就労支援の現場で話を聞いていると、「耳は悪くないと言われるのに、指示だけが聞き取れない」という相談に出会うことがあります。聴覚情報処理障害(APD)や聞き取り困難症(LiD)は、音自体はちゃんと耳に届いているのに、それを言葉として脳が処理する部分でうまくいかないことがある特性だとされています。耳鼻科で聴力検査を受けても「異常なし」と言われることが多く、そのぶん本人も「気のせいなのかもしれない」と自分を疑ってしまいやすいようです。
職場では、「これ、〇〇しといて」の肝心な部分だけが聞き取れなかったり、名前を呼ばれても気づかず無視したように見えてしまったりすることがあります。何度も聞き返すうちに、相手を不快にさせているのではという不安が積み重なっていく、という声もよく聞きます。
自分の場合がどうなのかを整理するために、1週間だけ「聞き取れなかった場面」をメモしてみる方法があります。いつ・どこで・何人で・どんな音がしていたかの4点を書き留めるだけで十分です。1週間分たまると、「会議室より雑談のほうが苦手」「午後になるほど増える」といった自分の傾向が見えてきます。このメモは、耳鼻咽喉科で相談するときにも、職場に伝えるときにも、そのまま材料になります。
「飲食店でホールのバイトしてるんですけど、正直言うと、注文の聞き取りがずっと苦手でした。厨房がガチャガチャしてる時とか、複数人のテーブルで一気に喋られると、もう『これ○○○して〜』の○○○の部分が丸ごと消えるんです。最初の半年くらいは聞き返すたびにお客さんに変な顔されるのが怖くて、分かったふりして厨房に適当に伝えて、普通に間違えて怒られてました。今は指で数を示してもらったり、復唱して確認するようにしてるんですけど、それでも忙しい時間帯は無理な日もあります。」
静かな場所なら平気なのに、職場だと急に聞き取れなくなる理由
APDやLiDのやっかいなところは、いつも聞き取れないわけではないという点です。静かな部屋で1対1の会話をしているぶんには、まったく問題なく聞き取れることが多いようです。ところが雑音が混ざったり、複数人が同時に話したり、電話越しの声になったりすると、途端に聞き取りづらさが強くなる傾向があるとされています。この「できるときとできないときの差」が、周囲から「さっきは普通に話せてたじゃん」「気分次第なのでは」と誤解される原因のひとつになっているようです。
特に電話対応は、声のトーンや周囲の雑音がそのまま聞き取りづらさに直結しやすい場面のひとつです。相手の姿が見えず、口の動きなど視覚的な手がかりも使えないため、余計に聞き取りにくくなるという声もあります。会議も同様で、1対1なら平気でも、複数人が入れ替わりで発言する場になると、誰が何を話しているのかを追いきれなくなることがあるようです。
「営業事務やってて、電話取るのが一番きついです。正直、電話が鳴った瞬間に軽く動悸するくらい。会社名とか名前を一回で聞き取れたことがほとんどなくて、毎回『恐れ入ります、もう一度お願いできますか』って言うんですけど、3回目くらいになると相手の声のトーンが変わるの、分かるじゃないですか。あれがめちゃくちゃ苦手で、入社して1年くらいはトイレに逃げ込んで折り返すようにしてました。今は電話に出る前に一呼吸置いて、聞こえた部分だけでも復唱するようにしてます。完璧には程遠いですけど。」
もうひとつ見落とされやすいのが、聞き取りそのものに使う体力です。雑音の中で言葉を拾おうとすると、普通の人が意識しないところで集中力を使い続けることになり、午後になると頭が回らない、会議のあとにどっと疲れるという声もあります。「集中力が続かない人」と見られてしまうことがあるため、疲れやすさも聞き取りの特性とつながっている場合がある、と知っておくだけでも気持ちが違ってきます。
聞き返すことへの罪悪感と、職場への伝え方
APDやLiDのある方の多くが口にするのが、「また聞き返してしまった」という罪悪感です。一度や二度なら気にならなくても、それが毎日何度も続くと、「自分は迷惑をかけている」という感覚が積み重なっていきます。相手が悪気なく「さっきも言ったよね」と返してくると、それ以上聞き返せなくなり、分からないまま作業を進めてミスにつながってしまう、という悪循環に陥りやすいようです。
聞き返し方を変えてみるという考え方
- 「サラダのご注文でしたか?」など、聞こえた部分を復唱して確認する
- 「電波が悪いようで」と、自分の特性を説明せずに聞き返す方法を持っておく
- 数や日時は、指で示してもらう・チャットで送ってもらうようお願いする
- 口頭指示のあとに「念のため、要点をメモで送ってもらえますか」と確認する
職場への伝え方としては、症状の詳細をすべて説明する必要はないとされています。業務に関わる具体的な場面に絞って、「こうしてもらえると助かる」という形で伝える方法が負担が少ないようです。
電話での聞き返しは、あらかじめ「使う一文」を決めておくと口が動きやすくなります。たとえば「恐れ入ります、周りが少し騒がしく聞き取りにくいので、お名前だけもう一度お願いできますか」「日付は復唱させてください。〇日の午後3時でお間違いないでしょうか」のように、何を聞き返したいのかを絞った形です。全部を聞き返すより、相手も答えやすく、通話も短く済みます。
使える工夫と、一人で抱えないための相談先
今日から試せる工夫
APDやLiDそのものを治す方法として確立されたものは、2026年7月時点ではまだ確立されていないとされています。一方で、環境を調整したり、道具を活用したりすることで負担を減らせる場合があります。
- ノイズキャンセリングイヤホンで、余計な雑音を減らす
- 会議はボイスレコーダーで録音し、あとで聞き直せるようにする
- リアルタイム字幕アプリや音声文字変換ツールを併用する
- 指示はメール・チャットなど、視覚的に残る形でもらえるよう依頼する
相談できる窓口
- 耳鼻咽喉科(聴力検査、APD・LiDに詳しい医療機関の紹介)
- 職場に選任されている産業医(50人以上の事業場に選任義務あり)
- 就労移行支援事業所(職場での配慮の整理や、働き方の相談)
- 同じ特性を持つ人たちの当事者会・ピアサポート(体験談や工夫の共有)
「分かったふり」でうなずいてしまった日。ミスに気づいてからの立て直し方
聞き取れなかったのに「はい」と答えてしまった。APD・LiDの傾向がある方から、いちばんよく聞く後悔のひとつです。その場で聞き返せなかったのは、弱さでも不注意でもありません。何度も聞き返して相手の表情が曇った経験を重ねると、「ここは流したほうが安全」と体が先に覚えてしまうからです。ただ、分かったふりは問題を先送りにしただけで、あとから大きな手間になって返ってきやすいのも事実です。
「月曜の朝10時、上司が資料の提出先と期限を口頭で言いました。『〇〇部に、△日までに』の△日の部分だけがどうしても聞き取れなかったんです。周りでは別の電話が鳴っていて、上司も急いでいる様子で、聞き返せずにうなずきました。午後3時に資料を送る段になって日付が分からないことに気づき、でも今さら聞けないと思って自分の判断で金曜にしました。翌日、本当の期限は木曜だったと分かりました。」
この場面で大切なのは、「聞き返せなかった自分」を責めることより、ミスに気づいた時点でどれだけ早く動けるかです。時間が経つほど言い出しにくくなり、小さな取りこぼしが大きく見えてしまうからです。立て直しの流れは、次の4つに分けて考えると動きやすくなります。
- その日のうちに伝える。「先日いただいた指示のうち、期限の部分を聞き取れておらず、確認が遅れました。あらためて教えていただけますか」のように、事実を一文で。
- 理由は「口頭だけだと取りこぼす場面がある」と具体的に言う。「注意力が足りなくて」と自分の人格の問題にすると、相手も対応のしようがありません。
- 再発を防ぐ仕組みを、一つだけ提案する。「期限と提出先は、あとでチャットにも書いていただけると確実に動けます」など、相手の手間が小さいお願いから始めます。
- 最初から全部を聞き取ろうとしない。取りこぼすと困る「いつ・誰に・何を」の3点に絞って聞き返すと、聞き返しの回数も心理的な負担も減らせます。
もうひとつ、次の一手として使いやすいのが「確認のタイミングを先に決めておく」方法です。たとえば指示を受けたあと、5分以内に自分の言葉で要点をまとめて送る、と決めておきます。聞き取れていなかった部分は、その文面の空白として相手にも見えるため、「ここが抜けていますね」と補ってもらいやすくなります。その場で「聞き取れませんでした」と言うより、心理的なハードルがぐっと下がるという声もあります。
診断名がなくても配慮はお願いできる?手帳・制度・相談先の現実
「APDの診断書がないと、職場に配慮をお願いしてはいけないのでは」という不安もよく聞きます。結論から言うと、診断名の有無だけで配慮の話ができなくなるわけではないとされています。2024年4月に改正障害者差別解消法が施行され、民間の事業者にも合理的配慮の提供が義務づけられました。雇用の場面でも、障害者雇用促進法に基づく合理的配慮の考え方があります。ただし、何が「合理的」かは、本人の困りごとと職場の状況を話し合って決めていくもので、個別の事情によって変わります(2026年10月時点の情報です)。
障害者手帳の対象になるかは、人によって違う
聴覚障害を理由とする身体障害者手帳には、聴力レベルなどの基準があります。聴力検査で大きな異常が出ないAPD・LiDだけでは、この手帳の対象にならないことが多いとされています。一方、ASDやADHDなど発達障害の診断が別にある場合は、精神障害者保健福祉手帳の対象になる可能性があります。ただし、申請できるかどうかは主治医や自治体窓口の判断によります。「なるはず」「ならないはず」と決めつけず、一度窓口で確認してみてください。手帳の考え方は、障害者手帳は取るべきかの記事でも整理しています。
一般雇用で配慮を相談するか、障害者雇用か
- 一般雇用で配慮をお願いする:今の職場や転職先で、電話の免除、指示の文書化などを個別に相談する形。手帳がなくても話し合いは始められますが、配慮の中身は会社の裁量に左右されやすくなります。
- 障害者雇用で働く:手帳があれば選べる枠で、配慮が前提の職場が多い一方、求人の職種や数は限られます。
どちらが良い悪いではなく、「今の困りごとの重さ」と「選べる求人の幅」のバランスで決める人が多いようです。決めきれないうちは、相談しながら情報を集める段階で大丈夫です。
相談先と、配慮をお願いするときの一枚メモ
- ハローワークの障害のある方向け窓口(専門援助部門):求人と配慮の相談
- 地域障害者職業センター:職場での困りごとの整理や、職業評価
- 障害者就業・生活支援センター:就職前後の生活面も含めた相談
- 就労移行支援事業所:配慮の伝え方の練習や、職場との橋渡し
職場に伝えるときは、診断名を長く説明するより、次のような「一枚メモ」にすると話が進みやすくなります。
①困る場面:電話応対、複数人の会議
②起きること:音は聞こえるが、日時や名前を取りこぼすことがある
③お願いしたいこと:重要な指示は口頭のあとにチャットでも送ってほしい/電話は静かな場所で対応したい
④自分で行う工夫:復唱して確認する、要点をメモに取る
一人で整理するのが難しいときは、mimemimeの無料相談でも、困る場面の書き出しから一緒にお手伝いできます。
